誕生日それは母を思う日

見かけではそう思えない心臓の病というと、母のことが思い出される。
母は丁度30年前の今頃、突然倒れてその日のうちに帰らぬ人となってしまった。私が27歳になる少し前だった。
一見丈夫そうに見えた母だから、誰もがその突然の死に驚いた。
しかし祖母が40代で出産したこともあってか、母は生まれつき心臓が弱かったらしく、幼少時はサナトリウムで過ごしたという。

病院には行きたがらなかった母の死因は動脈瘤破裂だった。52歳だった。
かの昭和の代表的なスター、石原裕次郎さんと同い年、同じ病気を発症し、同じ昭和の最後の年に亡くなっている。

誕生日5月6日・母の日一週間前


母の命日・誕生日・母の日が続くので、1年で一番私がそわそわする時期かも。
6日は私の○7回目の誕生日。まぁ伏せ字にしたところで前置きに「27歳で母をなくして30年」と書いてあれば誰でも計算できるね。仔犬のあんだって計算できるでしょ?
あんは無理?無理か…

とにかくね、誕生日は祝ってもらうだけじゃなく産んでくれた母に感謝する日なんだそうだ。
昔外国の漫画でそんな話を読んだ事があって、その日からそうするようになった。若い人にもその事を言ってきたけれど、私には子供がいないので、出産は命がけだって説得力を持って言うことがなかなか出来ない。
それでも生まれてこの方、特にここ数年の親族や動物家族の生死に度々関わったせいか、また強くそう思うようになっている。

リバについてはいずれ「川からやってきた猫(仮タイトル)」で書こうと思っているが、瀕死のところで私たちに出会い、1年後に未熟な体で子供を産んだ。

家に来た時はこんな風に骨と皮だけだった。

1年近く経ってからの妊娠だったから、もちろん子供を産める月齢には達していたが、生まれてすぐの栄養状況が悪かった(であろう)ことからか、難産の末、産まれた5匹うちの1匹しか助からなかった。

それが息子のオーしゃんなのだ。あとの4匹は息もしていなくいわゆる死産だった。
ちっちゃな体のリバにはかなりの負担だったと思うが、母になれた幸せを与えてあげることが出来たと思っている。

しかし今回のオーの心臓の診断は、このことが起因しているのではと思った。
だから、意外だとまでは思えなく、少しの後悔のような気持ちが湧いた。

でも、仮にリバが未熟だったせいで心臓の持病を抱えてしまったとしても、この世に生まれてきたことで、リバはもちろんのこと、私達夫婦や我が家のラブたちのみならず、オーと出会った人たちにきっと何かをもたらした筈だ、後悔など不要だとすぐに思い直した。
足が不自由でも、仮に片足になってしまったとしても、生きてさえいればオーならきっと物ともせず、楽しく生きるのではないかと思えた。
だってリバの息子だから。

今日も面会に行ったよ。チュルチュルさえあればごきげんなオー
やっぱり物ともしていないのかも。

リバはとうに気が付きだして家中オーを探してまわているので、先生に聞いてみた。
「母親が心配しているので面会に連れてきてもいいですか?」
「え?」
「あ!あぁ、人間じゃなく猫の母親です」
お許しがでたので明日はリバも見舞に連れて行くことになった。

法事のあと、突如退院


早いもので父の四十九日の法要の日が来た。
父は母の突然の死をなかなか現実として受け入れられないでいた事に、随分あとになって気づいた。
当時の父の年齢に近づきつつある現在の自分に置き換えれば容易に想像できるのだが、30年前の私にはそんな父の思いを考えることすら出来ていなかった。
きっと寂しかっただろうと思う。
それでもひょうひょうと生きる楽天的な父だったから、私はなんとか一緒に暮らして来られたのかも知れない。
悲観的になられたら、それはもう何と言ってあげればいいか、言葉がすぐに尽きてしまっただろう。

法事の後はやはりオーに会いに行く。今日はリバが同伴だ。
ところが病院に着くやいなや
「ご連絡しようと思っていたところでした」
どうやら退院ということらしい。
つまり、手術は断念せざるを得ないということで、オーが家に戻ることは嬉しい反面、思いは複雑だった。
処置が済むまでリバは私の膝に乗って大人しく息子を待つ。落ち着き払っていて、何もかも理解している様に見えた。

…様に見えていたが、家に着くと水を貪るように飲んでいたリバちゃん。
やっぱり緊張していたのかな。

「そうだよ、病院は緊張しっぱなし」
とカメラ目線のオー、本当にそう思ってた??

さあこれから足と心臓の治療、どうなることやら…でも、先ずは退院オメデトウ!

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